2004年の各地からの情報

各地からの情報のページにもどる
トップページにもどる

濫読・乱読・婪読―<心・戦争・歴史>3 (1月20日追加)

多文化共生フォーラム奈良結成25周年に寄せて (1月20日追加)

濫読・乱読・婪読―<心・戦争・歴史>2 (1月20日追加)

全外教への手紙 (10月29日追加)

出版・マスコミ業界が行ってきた差別表現の歴史 (10月29日追加)

濫読・乱読・婪読―<心・戦争・歴史>1 (10月29日追加)

尼崎・入居差別事件 (10月29日追加)

在日外国人に対する制度的差別・「無年金」
(7月2日追加)

外国人犯罪増加の嘘と本当 (7月2日追加)

読・乱読・婪読 ―<心・戦争・歴史>3

全外教副会長 金井英樹

<歴史>
 前回の<戦争>の項にあげるべきだったかもしれないが、鶴見俊輔のインタビュー集である『戦争が遺したもの』(新曜社)、鶴見俊輔の戦中・戦後の体験を、戦後世代のふたり、東大大学院教授上野千鶴子と新進気鋭の評論家小熊英二が聞くという試みである。中学校を放校された「不良少年」(鶴見)が渡米しハーバード大学を卒業。姉は社会学者・鶴見和子、いとこにアジア研究の鶴見良行がいる。学者一家とばかり思っていたら、後藤新平が祖父、鶴見祐輔が父で、「政治家の4代目」という鶴見俊輔。彼に3日間の時間を割かせて話を聞く。1日目には、鶴見の戦争体験、戦争直前のアメリカからの帰国や、戦中のジャワでの慰安所設置をめぐるエピソード。「国民基金」をめぐる話題では、上野が舌鋒鋭く鶴見に迫る。2日目は、敗戦前後から『思想の科学』創刊、「転向」研究まで、3日目は60年安保からベ平連の創設と脱走兵援助まで。それぞれ夕刻の雑談も収録している。戦後思想史としてもたいへん興味深い。鶴見が、繰り返し言う「小学校から一番でやってきた奴は当てにならない」という言葉は非常に重たく響く。聞き役をつとめた上野の『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)、『サヨナラ、学校化社会』(太郎次郎社)、小熊の大著『<民主>と<愛国>』『単一民族神話の起源』(新曜社)はともにおすすめ。

 この鶴見と、歴史家・網野善彦の対談『歴史の話』(朝日選書)も面白い。10年程前のものだが、今でも色あせぬ新鮮な内容である。本年2月、惜しくも網野は亡くなったが、彼の甥でもある宗教学者・中沢新一著『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)は、幼少の頃の、尊敬する叔父・網野との出会いから、死にいたるまでを愛情あふれる筆致で描いている。そして、網野史学を「人間を…解放するための歴史学」と評する。その中沢と民俗学者の赤坂憲雄の対談『網野善彦を継ぐ。』(講談社)が刊行され、網野の業績を継承・発展させることを宣言している。この赤坂が所長を務める東北文化研究センターの「東北学」第2期・第1号である『季刊・東北学』も「<国史>を越えて・網野善彦追悼」特集である。批判的論考も含めて、網野史学の全体像に迫る試みであり、「ひとつの日本」から「いくつもの日本」へに向けて、多文化共生の具体相を未来に繋ごうとしている。いっぽう、多文化主義が容易にナショナリズムの克服にはつながらない現実も、米国の現在が物語っている。これについては、大澤真幸著『帝国的ナショナリズム』(青土社)を参照のこと。

 網野自身の著書も新装版等で続々復刊されている。『日本論の視座』・『日本社会再考』・『蒙古襲来』(小学館)等である。私自身は四半世紀も前の平凡社選書『無縁・公界・楽』が衝撃的だったが、現在はこの増補版が平凡社ライブラリイで読める。『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店)や『異形の王権』『日本中世の百姓と職能民』(平凡社)も同じく歴史のあり様を教えられた。通史である『日本社会の歴史』上・中・下(岩波新書)は成功しているとは言い難いが、『「日本」とは何か』(講談社)、『日本の歴史をよみなおす』『続・日本の歴史をよみなおす』(筑摩書房)、『中世の非人と遊女』(明石書店)、『「女性の社会的地位」再考』(御茶の水書房)など、いずれも尽きせぬ話題に啓発される。『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫)、岩波セミナーブックスの『職人歌合』や『「忘れられた日本人」を読む』(岩波書店)等も必読である。韓国の詩人・高銀も『アソシエ <帝国>の生成と国民国家』(御茶の水書房)掲載の論文で、網野史学に言及している。

 私も何回か直に網野さんの講演を聴いたことがあるが、いつも興味深く引き込まれた印象がある。その一つが、奈良人権・部落解放研究所編の『日本歴史の中の被差別民』(新人物往来社)に収められていて、これもおすすめ。ご冥福を祈ると共に、網野史学の批判的継承・発展を願わずにはおれない。

 師走の声を聞く直前になって、中山文科相の歴史教科書についての問題発言、最高裁が相次いで下した戦後補償に関する請求棄却の判決等々、歴史を隠蔽し忘却しようとする動きが連動している。師走に入って、その動きを加速するような埼玉県知事による「記憶の暗殺者」某の県教育委員任命があり、対して他方では中国人強制連行の被害者による山形地裁への提訴がある。テッサ・モーリス・スズキ著『過去は死なない』(岩波書店)、徐京植著『過ぎ去らない人々』(影書房)、徐と高橋哲哉の対話『断絶の世紀・証言の時代』(岩波書店)、スーザン・ソンダク著『他者の苦痛へのまなざし』(みすず書房)、テッサと姜尚中の対談『デモクラシーの冒険』(集英社新書)、いずれも心に響く。戦後60年を前に歴史をめぐる責任と現在が問われている。

 加害の歴史はもちろん、被害の歴史もまた闇の中に葬られようとしている。そうして再び、臆面もなく「お国のために」と「愛国心」を唱える政治屋が登場してきた。自らの<少国民>体験にこだわり続けてきた作家・山中恒の新刊が『戦争のための愛国心』(頸草書房)である。「日の丸・君が代」強制の情況が進行する現在、子どもたちをかつての<少国民>にしてはならない。

 戦闘が続くイラクへの自衛隊派遣(小泉詭弁録「自衛隊のいる所が非戦闘地域」)は、国会審議もないまま閣議決定で延長されたようだが、アメリカのファルージャ空爆の痕はすさまじい。かつてのナチス・ドイツによるゲルニカ空爆の一年後、中国四川省の重慶(サッカーで問題化!)で1939年5月3日、4日(五・四運動20周年記念日)、日本海軍航空隊による無差別爆撃があったことを知る日本の若者はどれほどいるのだろう。この空爆の一週間後、詩人・郭沫若は五言詩『惨目吟』の前書に「死者累累/随所見如此/以志不忘」と記した。エスペランチスト・長谷川テルは「なんと多くの排外主義者がこの戦争によって日本に生まれたことでしょうか。かつて良心的、進歩的、あるいはマルクス主義者とさえ自称していた知識人までが、反動的な軍国主義者や政治家の尻馬にのって、恥もなく『皇軍』の『正義』をはやしたてているのをみますと、私は怒りや吐き気をおさえきれない」と日本の友に送った(前田哲男著『戦略爆撃の思想』参照)。

 予定していた南京とオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)のホロ・コーストの歴史と「帝国」の現在については、紙幅が尽きたので、他日を期したい。良いお年を!
(2005・12・8)

最初にもどる


文化共生フォーラム奈良結成25周年に寄せて

多文化共生フォーラム奈良 狩野友仁

 11月3日の第12回東九条マダン、11月7日の第11回奈良サンウリムなど、各地で開かれる多文化共生の祭りがシーズン真盛りを迎えた合間の一日、多文化共生フォーラム奈良(旧称・奈良在日朝鮮人教育を考える会)の結成25周年記念の集いがあった。当日、朝からは全外教役員・事務局会議、午後からは全外教運営委員会も、奈良労働会館において開催されていた。

 午後5時半きっかりにフォーラム吉川弘代表の挨拶で、開会宣言。全外教山本重耳会長、全国在日外国人教育研究所藤原史朗所長の来賓挨拶の後、乾杯。出席された方々からは、当日進呈された記念誌『遠くまで2』を繙きながら、奈良における四半世紀の活動を振り返り、健闘を讃えるうれしい祝辞をいただいた。紙上を借りて御礼を申し上げる。

 さて、「奈良・考える会」が結成されたのは、1979年5月。この年の8月には第1回の全朝教大会が開催された。9月には埼玉県上福岡市で、林賢一君の事件が起こった年でもある。その後、1983年には、第4回大会を奈良市、1991年には第12回大会を桜井市、1997年には第18回全朝教(全外教)大会を天理市、そして、本年2004年には第25回全外教大会を奈良市の帝塚山学園をお借りして開催、それぞれ成功裡に閉幕することが出来た。また、参加者記録をつくった大会もあった。

 この間、反差別・人権にかかわる県内のさまざまな団体と連携しながら、86年には都道府県レベルでは初の在日外国人教育「指針」を策定させ、90年にはそれを具現化する組織として、全国初の「県外教」を結成した。その県外教も15年を数え、子どもたちの集いや教員の研修をはじめ、さまざまなとりくみの中で、未来をつくる主体を生み出している。

 奈良は、日本の人権運動の嚆矢とされる水平社運動の発祥の地でもある。戦後の部落解放同盟が提起した反差別共同闘争が、奈良では70年代半ばから展開された。奈良においての公務員国籍条項撤廃の闘いである。一般事務職については、町からはじまり、県内の10市が、そして、最後に奈良県が国籍条項を撤廃するまでに、四半世紀近くを要した。

 また、その間には、国体の国籍条項撤廃や指紋押捺拒否闘争、入居差別に対する闘いや、差別事件・差別発言・差別表現を糾すとりくみも幾度となくあった。

 2000年4月に「考える会」から「多文化共生フォーラム」に名称変更した直後の石原都知事の差別・排外煽動に対する抗議集会も、県内の多くのなかまとともに開くことができた。いっぽう、県内の在日の足跡や強制連行等の資料を発掘するとりくみも併行して地道に続けられてきた。

 最近の事例では、『アエラ』10月4日号の「鉄学への道」という鉄道ファンの特集記事中に、「鮮鉄」や「ソウル(当時は京城)」など、植民地の歴史をそのまま引きずったままの無反省な記述があった。私たちも早速抗議したが、これについての訂正記事がようやく掲載されたのは7週間も経過した後であり、しかも何の責任も問うことのない文章だった(11月22日号の訂正欄)。朝日新聞社とは同様のことが何度もあったはずなのに、その教訓はまったく活かされていない。苦々しい思いを禁じ得ない。

 生活の格差がいっそう拡大する社会の中で、多文化主義とナショナリズムが同時に進行している。いっぽうで反差別と共生の道のりは、険しく、遠く感じられる。

 県外教の意識調査では、子どもたちの歴史認識が問われているが、マスメディア・マスコミ関係者のそれをこそきびしく追及しなければならない。中山文科相が歴史教科書に「従軍慰安婦や強制連行の言葉が減ってきたのは本当によかった」と発言、裁判所もそれに呼応するかのように、元「従軍慰安婦」や旧「日本軍人・軍属」、戦後の「浮島丸事件」等々についての国家責任を問わない判決を相次いで下す現状では、日本はアジアのなかでますます孤立するのではないかと憂える。そして、それらを広く伝えるべき新聞報道の扱いも異様なほどに小さな記事である。メディア・コントロールのままに、無批判に官製情報が垂れ流される今こそ、情報操作される客体になってはならない。

 さいごに、考える会から多文化共生フォーラムに至る、この四半世紀の間には、志半ばにして病に倒れた仲間がいる。初代事務局長の山下博巳さんとソダン世話人の石野眞也くん、応援いただいた福塚一史先生である。あらためてご冥福をお祈りする。

 奈良は、長らく恐怖の「金太郎飴」と言われてきた。さまざまな運動の場面にいつも同じ顔が登場するのである。いまもなおそれは続いている。しかし、高齢化の波はここにも押し寄せており、先細りの「金太郎飴」の懸念がささやかれるようになってきた。同様の状況は各地からも聞こえてくるが、これを克服するためにも、県内だけではなく、全国のネットワークを活用しながら、未来を担う人々の輪をさらに拡げるとりくみを創造しなければならない。そのためにも、第25回大会の年に設立された全外教研究所で、全外教運動の将来構想について検討する時機に来ていることを提起して、筆を擱く。
(2004年12月1日)

最初にもどる


読・乱読・婪読 ―<心・戦争・歴史>2

全外教副会長 金井英樹

<戦争>
 日本では、8月になると<戦争>が語られる。しかし、それもだんだん風化させられつつあるのではないかと危惧する。先頃のある調査では、最初の被爆地・広島の平和教育が危機的状況にあるという。教室に貼られる平和カレンダーまで攻撃の的にされているようだ。特に今年はオリンピックの国家間メダル獲得競争で大国意識を鼓吹されるという喧騒の中で、イラク戦争への派兵反対の声がかき消されている隙に、有事=戦時立法が着々と整備された。「戦争を放棄した国」が、今「戦争ができる国」から「戦争をする国」へと変貌しつつある。あらためて憲法9条の原点に帰りたい。そのためにも、別冊『世界』の『もしも憲法9条が変えられてしまったら』は熟読したい。加藤周一と辛淑玉の対談「憲法を体現して生きる」をはじめ、多彩な執筆者からの貴重なコメントがいくつも寄せられている。残念にも、最後のシンポジウムは世代間の違いではなく全くかみあっていない。

 ヒロシマについては、悲惨きわまりない被爆の実相を心に刻むためにも、原民喜著『夏の花』や太田洋子著『屍の街』『人間襤褸』、峠三吉著『原爆詩集』や『栗原貞子詩集』、井上光晴著『明日』なども読まれてほしい。最近映画化された井上ひさし原作の『父と暮らせば』(新潮文庫)も秀作だが、日本人被爆者だけを焦点化するのではなく、在日コリアン被爆者、在外被爆者、とりわけ在韓・在朝被爆者が存在するにいたった歴史にも思いを馳せたい。いささか旧刊に属するが、鎌田定良編『被爆朝鮮・韓国人の証言』(朝日新聞社)、平岡敬著『無援の海峡』(影書房)などは必読であろう。

 近刊では、広島市長・秋葉忠利著『報復ではなく和解を』(岩波書店)が報復の連鎖を断ち切るためにも被爆者の「こんな思いは、もう他の誰にもさせたくない」という言葉をかみしめるべきだと説く。ジョージ・サンタヤーナの「忘れられた歴史は繰り返す」という言葉も大切にしたい。夏だけの思い出にしないために、原爆の悲惨さを語り継ぐためにも、世界中の大学で「広島・長崎講座」が創設されねばならない。

 岩波ジュニア新書からは、伊東壮著『新版1945年8月6日』、長崎総合科学大学平和文化研究所編『ナガサキ―1945年8月9日』が基礎的文献。同新書には、色川大吉著『近代日本の戦争』、江口圭一著『1941年12月8日』、池宮城秀意著『戦争と沖縄』も刊行されている。
また、「唯一の被爆国」神話を打破するためにも「ビキニ事件を現代に問う」と副題された川崎昭一郎著『第五福竜丸』(岩波ブックレット)の「マーシャル諸島の核被害」を参照されたい。さらには、米軍のアフガン攻撃やイラク戦争で使用された劣化ウラン弾の恐怖についても考えたい。この新兵器による放射能被害は、アフガニスタンやイラクの人々だけでなく、加害者たる米兵にまで及んでいる。

 「天皇の戦争責任」発言で狙撃された本島等・元長崎市長と『悪魔の飽食』で七三一部隊を告発した作家・森村誠一、ジャーナリスト柴野徹夫の鼎談『私たちは戦争が好きだった』(朝日文庫)は「被爆地・長崎から考える核廃絶の道」を訴える。

 吉本隆明著『戦争と平和』(文芸社)は、「政府に対するリコール権」の提唱だが、それにしてもずいぶんわかりやすくなったなあ、この10年、最近では『超恋愛論』(大和書房)まで出している。

 纐纈厚著『侵略戦争』(ちくま新書)は、「日本近代化とは、一面において侵略思想を基盤にしながら、この『帝国意識』を内在化させる歴史過程」と把握する著者が、近代日本の戦争を民族差別・侵略思想との関連で跡づける。近著に『有事体制論』(インパクト出版会)があり、「戦争立法」が整備されつつある現状への鋭い批判がなされている。

 また、加害の一端を知るために、吉見義明著『毒ガス戦と日本軍』(岩波書店)が、今も被害が出ている日本軍の毒ガス戦について、その全体像を描いている。新井利男・藤原彰編『侵略の証言』(同前)も併読されたい。

 緑風出版から刊行されているVAWW―NETJapan編「日本軍性奴隷制を裁く―2000年女性戦犯法廷の記録」シリーズは必読。第一巻内海愛子・高橋哲哉編『戦犯裁判と性暴力』以下、第2巻池田恵理子・大越愛子編『加害の精神構造と戦後責任』、第3巻金富子・宋連玉編『「慰安婦」・戦時性暴力の実態―日本・朝鮮・台湾編』、第4巻『「慰安婦」・戦時性暴力の実態―中国・東南アジア・太平洋編』、第5巻『女性国際戦犯法廷の全記録』、第6巻『女性国際戦犯法廷の全記録2』と、質量ともに圧巻である。

 戦後補償については、内海愛子著『戦後補償から考える日本とアジア』(山川出版社)が現在日本での裁判も取り上げられていて参考になる。同じ著者の『スガモ・プリズン』(吉川弘文館)は、BC級戦犯たちの再軍備反対運動をまとめている。

 イラク戦争については土井敏邦著『米軍はイラクで何をしたのか』(岩波ブックレット)、米国の情報操作についてはノーム・チョムスキー著『メディア・コントロール』(集英社新書)が、『 世紀の帝国アメリカを語る』(明石書店)とともに読まれるべきである。日本の言論統制の現状について、田島俊彦著『この国に言論の自由はあるのか』(岩波ブックレット)がおすすめ。戦時下のそれは、佐藤卓己著『言論統制』(中公新書)を参照。

 リボン・プロジェクト『戦争のつくり方』は、有事法制審議中に全国会議員に配布されたというが、リベロ版(300円)と英訳付のマガジンハウス版(630円)が出ている。

 人々がどのようにして戦争にからめとられていったかについては、喜多村理子著『徴兵・戦争と民衆』(吉川弘文館)に詳しい。新藤謙著『国家に抗した人びと』(寺子屋新書)には、反戦川柳作家・鶴彬や、本年七月一七日に逝去されたトルストイ翻訳者で、徴兵拒否を貫いた北御門二郎らの生き様が取り上げられている、これもおすすめ。
(つづく)

最初にもどる


外教への手紙

池田正枝

* 全外教に届いた池田さんからの手紙を本人の了解を得て掲載します。

全外教様

 素晴らしい『通信』をありがとうございました。戦後生まれの先生方が、こんなに一生懸命朝鮮半島のことをお考えくださって感謝でいっぱいです。

 昨年はじめまで朝日新聞社にいらして、今は埼玉の聖心学院と韓国の大学でおつとめの小田川興さんがソウルからお手紙くださいました。その中に「ここの学長さんはある教会にかかわってます。その教会が今度の竜川のことに関して集めて送った金額が、日本政府が送った金額と同額だったそうです。韓国はたくさん教会がありますから、一つの教会の人数は少ないと思います。一つの教会と一国とが同じ金額」と認めておられます。学長から教会の金額を聞いて、小田川さんは恥ずかしくて赤面しっぱなしだったそうです。私は毎月僅かずつですが<北朝鮮人道支援の会>に送ってますので、今回もそこへお願いしました。

 私が10代はじめに金剛山に行きました。なんと地下資源の豊かな地だと、びっくりしました。地球の上はよくできている。韓国は農業ができます。しかし北の方は山岳地、それに寒くて農業は駄目。そのかわりにこうして金属類が豊富で、家具や台所用品も金物がたっぷり使われておりました。共和国では自炊したり、食事のお世話になったり、7軒の家で本当に親切にしていただきました。私も真鍮の食器で御馳走になりました。

 しかしすぐに戦争で、その真鍮の食器をはじめすべての金物は「供出」という名の下に、日本がとりあげてしまいました。10代のはじめにみた豊富な地下資源ももうありません。全部、日本が戦争に使ってしまったのです。そうしてたくさんの人々を拉致しました。

 私は、そのような時代の中で、少女をだましたり、さらったりしたこと、性奴隷を拒否したことで虐殺したこと、そのような出来事を忘れることができません。私の教え子は小柄な子どもだったということでたまたま助かったのです。今も朝鮮には帰ってこない少女たちを案じつつ、他界していく親御さんがたくさんおられることでしょう。みんな日本人がしたことです。しかし、誰も語らない、ほったらかしですね。私もまだちゃんと語っていません。うっかりすれば殺されます。

 今、日本の政治を動かしているのは、ひどいことをした人の子どもや孫です。過去のことがはっきりするのを、最もおそれている人々でしょう。私のような老人を殺すなんて簡単です。交通事故にみせかけたらいいわけです。来年の8月15日にはアジアの国々が日本へ謝罪要求をするでしょう。今度、共和国が柔軟になったのは、このことがあるのでしょう。私はこの日までどうしても生きたいのです。この時、私も謝りたいと思っています。私は勉強していません。しかし、体験をしております。

 同封のはがきは賀状ではなく、一年中いろんな方に読んでいただきたいと思っているものです。1才の時は今度の竜川近くの昌城ですごし、いろいろ記憶しています。2才からソウルに行きました。朝鮮人を追い出して、そこに日本の高級官僚の官舎をたくさんつくったのです。このことを知った2才の時から、私は苦しんできました。朝鮮、そして「満州国」、何もかもいまのイラクとまったく同じです。

 世界は変わるのでしょうね。日本も変わる。老人はひどいことをしたまま死んでいきます。お許しくださいませ。こんなはがきですが、もらってくださる方があったら、さしあげてくださいませ。生徒さんでもいいです。日本が過去のことをちゃんと謝り、行方不明のままの朝鮮人のことを調べる熱意を示したら、拉致日本人もすぐ帰してもらえた筈です。朝鮮として自分の国の人々の悲しさを知ってもらいたかったのでしょう。

 私は幸せな人生でした。どんなこともすべてプラスになるのですね。少女時代、呉ですごしたことは、軍隊で商売をしている人々は戦争を望んでいると知ったことです。自衛隊も同じことですね。ここへ納めることで、物品をつくっている人々、それを売買する商売の人は、自衛隊の発展を願っているのでしょうね。そうして石油…。

 私は世界は変わると思っています。日本も変わるでしょう。集会でお会いする若い方々に明日への希望を見ます。そうした楽しい集会にもう参加する体力がありませんので、失礼いたします。来年の8月15日迄はどうしても生きたいのです。有難うございました。

 朝4時半、NHKテレビから「君が代」全曲の放送が流れました。日本はとうとうここまで来たのですね。落ちていく姿がはっきりしています。そうしなければ日本は謝ることをしない国だと私は思っていますし、どの国も同じようにならなければ手はつなげないかもしれないと思ったりもします。『通信』だけは読みたいので、2000円同封します。

 いろいろ有難うございました。今、山のようなたくさんの本や資料で足のふみ場もない部屋で下手なペンを走らせていますので、字も乱暴になりお許しください。小田川さんが聖心学院に棚をつくってくださったのでそこへ本を送るためです。韓国へは、一応終わりました。池明観さんも退職なさいましたのでおわりにしました。

 くれぐれもご大切に。長い間有難うございました。
5月17日
池田正枝拝
*以下は、同封のはがきです。

 全外教様

 2004年、お元気でいらっしゃいますか。私は2002年秋から苦しみました。私の人生の記憶のはじまりは、1才の私を鴨緑江の河畔に立たせた母の姿です。すぐに母は病没、私はソウルの伯母の家で暮らしはじめました。すぐ傍で、総督府高級官僚の官舎づくりがはじまってました。膨大な面積です。「ここに住んでらした朝鮮の方々は?」2才の頭では答が出ず、共和国へ中国へと、日本が追い立てたことを知るのは敗戦後です。毎日のように集会へ参加、若い方々に教えていただきました。数年前から体調不調、外出は無理になりました。週刊金曜日・世界・むすぶ・あれこれ・新聞・送って下さるたくさんの本、しかし弱った体調では、ちゃんと読むことが出来ません。「日本に韓国や朝鮮を批判する資格があるでしょうか?」目に一ぱい涙をためて絶叫された故・安江良介さん(岩波書店元社長)のお姿が私を扶けて下さいました。2005年、かつて日本が犯した人権侵害への日本の謝罪と補償を実現させる国際組織が上海で旗揚げのニュースに胸一ぱいです。私も教え子を挺身隊に送ったお詫びができます。三途の川迄、8回行って通行証なく引き返しております。現地の方と同じ生活をし、世界人権宣言を目指して進む若い人々を手本とし、今後は通行証を貰えるよう努力します。

2004年○月○日
有難うございました。ご大切に
池田正枝


* なお、池田さんの著書『二つのウリナラ』(解放出版社)をご参照ください。

最初にもどる


版・マスコミ業界が行ってきた差別表現の歴史
堀田貢得「実例・差別表現」大村書店 を読んで

全外教副会長 小西和治

情報発信者の必読書
 メディアを通したメッセージの送り手と受け手の間には、大きな権力格差が存在する。多くの場合、受け手はメディアの発するメッセージを一方的に受け続け、フィードバックの権利は保障されていない。例え、若干のフィードバックを行ったとしても、一旦メディアが与えた社会的影響を塗り替えるのは極めて困難である。そういう意味で、メディアの責任は大きい。ところが、日本のメディアは過去に多くの過ちを犯してきた。その過ちの中で、差別表現に限定して、過去にどのような差別語を撒き散らし、差別・抑圧・排外構造を拡散・深化させてきたのか、そしてそれへの反撃はどのように行われ、どんな成果をおさめたのかをコンパクトにまとめたのが本書である。

 本書は、既存の放送禁止用語集や出版禁止用語集、そして差別表現言い換え集等とはちがって、なぜその表現が問題なのかまで明記している。そして人権擁護団体、被差別当事者団体からどのような抗議を受け、その結末がどうなったかもわかりやすくまとめている。また、部落差別、「障害者」差別、民族差別、性差別、その他の差別と差別の形態ごとに整理され、マスコミ・出版側がかつて抗議を受けたほとんどの分野が網羅されている。そのような意味では、マスコミ・出版業界はもちろんのこと、何らかの形で表現にかかわるものにとって必読の書であると思う。

 そして、マスコミほど表現の受け手の数は多くなくても、成長過程にある子どもや若者に深い影響を与える立場にいる保育・教育関係者にも、ぜひ読んでいただきたい好著であると思う。
差別表現と改められた表現の例
 現在日本のマスコミにおいて「精神分裂症」が統合失調症に、「狂牛病」がBSEに改められている現象に気付き、その理由も知っている者は多い。そして自分自身も「狂牛病」「精神分裂症」という言葉は使用しないと硬く誓って生活されている方も多いと想像している。しかし例えば「小人症」が低身長症に、「コビトペンギン」がフェマリー(妖精)ペンギンに、「インディオ」がインディヘナに、「ラップ人」がサーミに改められつつあること、そして過去に使われていた言葉にどのような問題があり、改められた言葉にどんな思いが込められているのかについて、もし一つでもご存知なかった方が存在したとしたら、ぜひこの書物を読んでいただきたいと思う。ほとんどすべての差別表現については熟知していても、たった一つの自分が知らなかった言葉が人に与える影響について心が及ばず、結果として差別に加担することを防ぐために読んでほしい。

 教科書に差別表現や差別語が掲載されていることも多い。例えば、かつてはほとんどの教科書に掲載されていた「李氏朝鮮」や「李朝」という歴史用語の持っている問題点を韓国教育部(文部省)が指摘する前に気付き、その問題点を授業で説明していた教員や研究者は全外教関係者以外では、ごく限られていたのではなかろうか。そして残念ながら「李氏朝鮮」や「李朝」は一部にまだ使われつづけている。

 民族差別については、鋭い感性を持って問題点を指摘できる人が、他のカテゴリーでは、その言葉の犯罪性に気付かずに使用しているケースも多い。そのような指摘を受けたことがある方にも、本書は必読の書であろう。
教育にかかわる者として
 全外教や、それにつらなる各地の在日外国人生徒の教育にかかわる団体は、かつての全朝教、全朝教(全外教)時代をも含めて、ずいぶん多くの差別表現を指摘し、改めさせてきた歴史を持っている。本書には、その全外教や全朝教広島のとりくみについても、一部については掲載されている。

 私自身が兵庫在日韓国朝鮮人教育を考える会の一員としてかかわったものとしては、
1、 1981年8月 徳間文庫「まいど! 横山です」の、横山やすし氏による『ようし、くそっ朝鮮』『昨日の仕返しじゃ、このチョンコ』という表現
2、 1983年1月 「プレジデント」誌、ダイエー中内社長の『個人的な実感として、敗戦後、当時は第三国人に支配されて…』の発言
3、 1986年3月 宝塚市立逆瀬台小学校 吉川校長の『日本は、平和を愛してきた国で、かつて他の国と戦争をし、他の国を支配したことはありません』という歴史捏造発言

などにはじまり、最近では、

4、 差別・侵略 超特急「のぞみ」命名への国鉄への抗議
5、 神戸市の 同化・排外・差別奨励「人権副読本・あゆみ」の廃棄・書き換え要求
6、 兵庫県「人権啓発協会」による差別語『京城』ばら撒き事件への対応
など、数多くの反差別表現のとりくみにかかわってきた。

 それらは、差別に抗する当事者団体との共闘・連帯の中でのとりくみと、教育にかかわるものとして、当事者団体の支援を得ながら主体的にかかわってきたものに分類することが出来る。しかし、自分がかかわったとりくみとその意味と成果をまとめるだけでも、かなり困難な作業である。 本書では残念ながら、前述の私がかかわった6つのとりくみについては、一行も紹介されていない、また4と5についてはその表現の問題点についての指摘も充分には行われていない。このような思いを感じるのは私だけでなく、各地で差別表現と闘ってきた者は同じ印象を受けるのではないかと思う。本書の差別表現への闘いとその成果の例示が氷山の一角のみであり、当事者の怒りや、教育にかかわるものの思いが十分に書き込まれていないのは残念である。
変革されたものとされないもの
 この書は1960年代中ごろから今まで、出版界の中で被差別者の立場・心情を理解して、差別表現と対峙してきた筆者がかかわってきた、または見聞きした情報の集大成である。ただ、本書の副題に「糾弾理由から後始末まで、情報発信者のためのケーススタディ」とあるように、全国各地の反差別表現闘争を網羅したものではない。東京の出版人の目にとまった闘いの一部を事例研究として抽出したものである。その抽出の基準や視点についての疑問、告発した当事者の心情や怒りを充分にまとめきれていないもどかしさはある。なぜなら筆者は差別表現の根絶に思いをはせながら、立場としては告発や糾弾を受ける側の人間なのであるから、これは当然と言えば当然であろう。むしろ、全外教から見ると、敵側の人間がかくも克明に全外教の闘いをも記録し、それを一定程度の評価をしていただいている事実に注目したい。

 そして私は、全外教または本年度発足した全国在日外国人教育研究所等の私たちの側が、全国各地で闘われてきた差別表現への闘いの歴史を、在日外国人教育に携わる者の視点からの集大成することが求められていることに、この本を読んで気付かされた。とりわけ、私たちが何をどう変革してきたのか、そしてまだ変革されず差別・抑圧・排外の状況がどう深化・拡大しているのかを明らかにする必要があると思う。そのように、私を触発してくれた本書に、敬意をこめて連帯のエールを送りたい。

最初にもどる


読・乱読・婪読―<心・戦争・歴史>1

全外教副会長 金井英樹

 書評を依頼されたのだが、時間がとれない。2教科4科目8クラスの成績処理の真っ最中である。雑読ノートで勘弁願うことにした。

<心>
 「こころの時代」で、精神科医が人気だそうである。テレビのコメンテーターにも、○山○○、×田××、△川△△などが頻繁に登場している。これだけストレスの多い社会状況になると、医者にかかる人が増えるのも仕方がないのかもしれない。5年連続3万人を超す自殺者を出す国で、なんせ「人生いろいろ、会社もいろいろ」と政治家三世の首相までがのたまうのだから、ますますイライラが募る。最近は「こころの病」に関して病名が増加している。「人格障害」「強迫性障害」「パニック障害」「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」等々。岡田尊司著『人格障害の時代』(平凡社新書)という本まで出されているが、これだけ病があれば、各々みんながどれかに分類されそうな気がしてくる。こんなに病名が多様化したのは、世界的な製薬会社が仕掛けているという説さえある。企業が今後成長を見込める巨大マーケットがこの分野だというのである。品数を多くすれば、それだけ客が増えるわけで、「こころの病のカテゴリーを広げれば、製品も増え、利用者も増えるということになる」(野田文隆著『間違いだらけのメンタルヘルス』大正大学まんだらライブラリー=この本、新書版だが驚くほど単純な誤植が多い!)。閑話休題。

 ここで、とりあげたいのは、小沢牧子・中島浩籌著『心を商品化する社会』(洋泉社新書)。「社会的不平等が進行する現在、心理主義は(略)人びとの不満を封じようとし、歯止めのない自由競争による階層化社会の構図を、暗に下支えしている」と小沢は言う。「心理学が流行する時代は、人の比較・評価への関心が強まっている時代」すなわち「人間の比較、選別、排除」=序列化へとつながると指摘する。人権教育の現場でも差別の現実に深く学ぶというより、「ゲームによるコミュニケーション学習など心理主義的色彩が強まっている」等々。そんな教育現場が増えているのではと危惧する。社会的矛盾や現実の問題を「こころの問題」に矮小化しようとする傾向が広がっているのではないだろうか。

 文科省が莫大な予算を組んで、全国の小・中学校に配布した『心のノート』もまた、その一環である。日本臨床心理士資格認定協会なるものを牛耳る河合隼雄が、文科省と仕組んでいるのだ。戦争や災害による被害やリストラによる生活苦は「心のケア」では救えないし、心を病む原因をそのまま放置して、対症療法だけではすまされない。いまや「心のケア」は、流行の「危機管理」ということで、会社だけでなく学校にも広がっている。

 いま日本は「戦争ができる国づくり」に向けて、有事=戦時立法体制を整備し、国家が人々の「こころ」を回収しようとせりだしてきている。こうした情況を全体的に批判したものに高橋哲哉著『「心」と戦争』(晶文社)があるが、義務教育への国家主義の攻撃が『心のノート』であり、それについては、三宅晶子著『「心のノート」を考える』(岩波ブックレット)と岩川直樹・船橋一男編著『「心のノート」の方へは行かない』(寺子屋新書)が必読である。また、現状の教育改革が差別・選別をますます深めていることについては、斎藤貴男著『教育改革と新自由主義』(同前)が詳しく論じているが、高橋哲哉・斎藤貴男著『平和と平等をあきらめない』(晶文社)も、現状を憂えるだけでない決意表明の対談である。対談と言えば、語りが大好きなM・ヴェーバー研究者で、体育会系だったという姜尚中東大教授である。佐高信との『日本論』(毎日新聞社)、森巣博との『ナショナリズムの克服』(集英社新書)、弁護士・内田雅敏との『在日からの手紙』(太田出版)、中東問題研究員・酒井啓子との『イラクから北朝鮮へ』(同前)、宮台真司との『挑発する知』(双風舎)など、いずれも大変興味深い。彼の自伝『在日』(講談社)はすごい売れ行きだそうだが、『ナショナリズム』(岩波書店)や『反ナショナリズム』(教育史料出版会)、『日朝関係の克服』(集英社新書)や『アジアの孤児でいいのか』(ウェイツ)も読まれてほしい。

 いっぽう、思想・良心の自由さえ押し潰そうとする東京の教育状況については、『東京都の「教育改革」』(岩波ブックレット)、『検証・東京都の「教育改革」―戒厳令下の教育現場』(批評社)、『良心的「日の丸・君が代」拒否』(明石書店)がある。多摩の永井さんも『「愛国心」の研究』(批評社)に論文を寄せている。この間、全外教関係者では『在日・日韓朝の狭間で』(愛媛新聞社)に岸野さん・寺井さん、『情況』7月号に土肥さん、それぞれの活躍が紹介されている。ここで昨年の大阪大会に参加された鷺沢萌さんの遺著『ビューティフル・ネーム』(新潮社)をあげて、ご冥福を祈ろうと思う。合掌
<戦争・歴史>
 関連の書については次回にまわすが、日本ペンクラブ編『それでも私は戦争に反対します。』(平凡社)はおすすめ。日本ペンクラブの初代会長は島崎藤村、文学におけるリベラリズムと国際関係の重視を唱えて創設された。現会長は井上ひさしで、多国籍軍参加にも反対声明を出している。本書は、ペンクラブ平和委員会が年末から正月にかけて原稿依頼し、イラク戦争、自衛隊派兵に対する意思表示として緊急出版された。半月の執筆期間だが、流石はプロ、短いながら力作が並んでいる。浅田次郎の創作に始まり、三好徹のエッセイに至るまで45人が執筆。読者は46人目になろう。本書に収録された道浦母都子の歌を一首だけ紹介しておく。
日本よ日本 一夜(ひとよ)さにして
戦中の国と化したりいっさいは無下(むげ)
(つづく)

最初にもどる


崎・入居差別事件

兵庫 韓 裕 治

 2003年10月、結婚を間近に控えた在日コリアンカップルが、韓国人であることを理由に入居を断られるという差別事件が発生した。「前に韓国の人に貸した時に、塀とか柱を青やピンクに塗られて大変やった。韓国の人は困るなあ」と何の臆面もなく言ってのける家主側に対し、五月に「尼崎入居差別裁判を支える会」を立ち上げ、六月に神戸地方裁判所尼崎支部に提訴した。「同胞のためにも泣き寝入りはしたくない。日本がいつまでもこんな差別社会であってほしくない」という被害者の思いを支える支援者は現在140人を越える。

 以下が事件発生当日のやりとりである。(10月18日、宅建業者「K住宅」にて)
K住宅社長
(以下、社長)
「(大家にむかって)こちらのお二人です」
被害者 「こんにちは。よろしくお願いします」
大家 「こんにちは」といいながら二人の前にすわり、社長も横に座る。被害者が書きかけていた申込み用紙を覗き込む。申込書の中にあった「国籍欄」を見た瞬間…
「うわー、韓国の人か〜」とのけぞりながら、あからさまに不快な顔を表した。
被害者 「え?何か、問題あります?」
大家 「いやー、韓国の人はちょっと…。前に韓国人の人に貸した時に、塀とか柱を青やピンクに塗られて、直すのに大変やったんや」
社長 「いやー。見てわかる通り、この二人はそんな人じゃないですから、大丈夫ですよ」
大家 「いやー、あかんわ。韓国の人は困るなぁ」
被害者 「大家さん、いくらなんでも、そんなむちゃくちゃなことしませんから」
大家 「困るなぁ。ホンマにそのまま、そのまま、何も触らんと使ってもらわなあかんで?」
社長 「いや、そう言っても、常識の範囲内で少しぐらいは手をいれてもいいでしょ?」
大家 「あかん、なんもいじらんとそのまま使ってもらわんと」
社長 「いくらなんでも、まったくそのままってわけにもいかへんし…常識の範囲内で」
大家 「いや社長、常識って言ってもね。民族が違ったら生活習慣も違うし、常識も違うねん。この間の韓国の人も柱に色塗って大変やったんや。もし、そうなったら社長弁償してくれますか?」
社長 「そんなことはでけへんけどな」
被害者 「大家さん、大丈夫ですよ。僕ら生まれも育ちも日本ですし。そんな、塀や柱をピンクとかに塗るようなセンスの悪いことしませんし」
大家 「やっぱり、韓国の人は困るわ。わしが決めるんじゃなくて、おばあちゃんが決めることやから。前のことでおばあちゃんもだいぶん怒ってるしな」
社長 「そのへんも何とか、大家さんの方から説得してくださいよ」
大家 「韓国の人はむずかしいなぁ。とりあえず用事があるから、いったん帰って相談するわ」
 その日の夕方、約束どおり社長から電話があり、どうしてもおばあちゃんが「韓国人はダメ」ということで断られた。また、韓国人だけではなく、外国人全員が民族性が違い、習慣や常識が違うのでやめてほしいとのことであった。この「おばあちゃん」というのが貸し主ということであるが、実際はこの大家が実権を握っていて、判断しているようである。
 以下は訴えを受けた兵庫在日外国人人権協会と「K住宅」との事実確認会である。(10月20日、宅建業者「K住宅」にて)
社長 「要するに、『韓国人やからダメ』いうことではない。アメリカ人もイギリス人もダメ」
人権協 「『外国人がダメ』いうことですね」
社長 「好む色が違うからね」
人権協 「ほんまか。あとで付け足しに『外国人』言い出したんやろ」
社長 「年寄りもダメですよ。六〇歳くらいまでにしてくれと。理由は家賃を滞納したから。それと(柱と門に)色を塗ったから」
人権協 「そんなら、日本人が色を塗ったら、全部の日本人に家を貸さんねんな」
社長 「…」
人権協 「すいませんけどね、家主さんのお名前と住所教えてくれませんか」
社長 「それはね、堪忍してください。そういうところから根本が発生してないから」
人権協 「それは違うって」
社長 「発祥がそこやったらええけど。ぼくらはどっちの話もわかってるから。違うゆうて決め付けられたら困る。おばあちゃんに言っても同じことやと思うけど」
人権協 「(教えられないのは)なんでですか」
社長 「うちはね世の中狭いゆうんですわ。家主さんゆうのはおんなじ村社会やから。うちはこれで物件ひとつなくなったんですよ。おたくらが『人権』ゆうて(こっちが)めし食えんようになったらどうするんですか」
人権協 「『外国人はダメ』ゆうだけで、それで人権侵害なんですよ」
社長 「そう決め付けるでしょ。人権の差別やないですよ。それは損害を被ったという認識です。だから人権と損害を一緒にするからおかしくなる」
人権協 「日本人に対して損害を被ったら日本人全員拒否やね」
社長 「それはわからへん。本人が言うのは三〇から六〇くらいまでの人を入れてくれと言ってます」
人権協 「年齢まで指定してるんですか」
社長 「日本人とか外国人とか人権問題で言ってるわけではない」
人権協 「高齢者を拒否することも差別ですよ」
社長 「おんなじことなんです。それは損害を被ったからという意識があるから。損害を被むりました、と聞けば損害を被らないようにもって行く。収益あがってナンボのとこですから。家賃を滞納したと、在日韓国人の人はペンキまで塗って出たんやから。表の塀はペンキ塗ったままです。中は青とか赤とか塗っとったんです。外国人の人は朱の色を好む。家の中に塗れば幸福を呼ぶとか」
 提訴に踏み切る前に、神戸地方法務局尼崎支局へ「人権救済申立て」を提出し、法務局から不動産業者及び家主へ説得を何度も行なったが、家主側はどちらも話し合いを拒否するという状態が続いた。入居拒否の理由を「韓国籍であること」から「ネコを2匹飼っていること」とすり替えて報告していることや、「こちらも物件をなくして被害を被った」と開き直っていることからも、この家主側の不誠実さがよくうかがえる。
 これからの長い裁判闘争を支えるにあたり、支援の輪を拡大することが必要である。「このままこの事件を終わらせたくない。多くの若い在日外国人が入居差別の現実を直視し、差別社会を自ら変えていく原動力になってほしい」という被害者の思いを全国に伝えたい。
連絡先 「尼崎入居差別裁判を支える会」事務局
尼崎市七松町3丁目3-13 益栄ビル102
韓青尼崎内
E-mail:sasaerukai@hotmail.com
TEL/FAX 06-6413-5618

最初にもどる


日外国人に対する制度的差別・「無年金」

兵庫 韓 裕 治

 昨年の9月7日、京都から金洙榮さんを招き、『20年の思い』と題する講演会が神戸でおこなわれた。ご存じの方も多いと思うが、金洙榮さんは「京都在日外国人『障害者』無年金訴訟」原告団のお一人であり、裁判は3月に結審し、前月の26日に判決が言い渡されたばかりであった。6月に予定されていた判決が延期されるとの連絡を受けたときには、それまでの不当な対応とは違った「何か新しいもの」を期待したのだが、その期待は「原告らの請求をいずれも棄却する」という不当判決によって見事裏切られた。金洙榮さんのような無年金障害者は全国で5000人と推定される。

 外国籍障害者・高齢者の無年金についておさらいをしておこう。1959年に制定された国民年金法には「国籍条項」があり、外国人は対象外であった。外国人は将来の年金受給のための「納付」さえ許されなかったのである。82年にこの「国籍条項」は撤廃されるが、それは日本人の良心の呵責からではない。「難民の地位に関する条約」を批准しなければならなかったからであり、お得意の「外圧に負けた」である。しかし転んでもタダでは起きない日本である。「国籍条項」撤廃に際して、「撤廃の効力は過去にさかのぼらない」との付則条項を定めた。すなわち、保険料の納付期間が不足であるなどと理由をつけて、高齢者や20歳以上の障害者には支給を認めかった。現在、41歳以上の障害者と77歳以上の高齢者は依然として無年金状態にある。その差別性を糾弾するのが「無年金」訴訟のはずであった。

 兵庫では「障害年金の国籍条項を撤廃させる会」を中心に、「無年金外国籍高齢者・障害者福祉給付金支給事業」を県や各市町村に要望している。国が年金を出さないのなら、自治体の責任で、住民である無年金者に給付金を支給せよ、というものである。日本人が受給している現在の障害基礎年金(1級)は8万3025円、老齢福祉年金は3万5025円(いずれも月額)である。この額を県と各市町村で折半(1/2ずつ)して支給する。

 障害者の場合、1/2の折半ということであれば、その額は4万1500円(端数切り捨て)のはずであるが、兵庫県はこれを20000円としてきた。全国的に見て、きっちり半額助成しているのは神奈川や鳥取など数えるほどであり、多くの自治体は半額という約束を果たしていない。そのため兵庫県神戸市に在住する障害者の場合、市は半額に近い4万1000円を支給しているが、県が20000円のため、月額6万1000円しか給付されていない。しかしこれはまだマシな方で、「1/2折半という約束であるから、県が20000円給付なら、ウチも同額の20000円給付である」ということで、20000〇円しか給付していないふざけた市町村まで出てくる始末である。反対に兵庫県明石市の場合、市は4万1850円を給付している。1/2折半より350円多い金額である。これは障害基礎年金が減額される前(8万3775円)の1/2であり、減額が決定していたにもかかわらず、次年度の予算にそのまま計上しているのである。たった350円であるが、交渉を通して担当部長の誠意を感じることができた。県内では87市町村のうち、38の市町村が給付金の追加・増額をおこなっている。地道な交渉の成果と見ていいだろう。県では、2004年度予算に担当局が障害者・高齢者に対して1/2給付を計上しているが、いかなる結果になることか。

 全外教・大阪大会では、「在日外国人『障害者』の年金訴訟を支える会」の鄭明愛さんがレポート報告をし、「所得保障は人間の尊厳に関わる問題である」と力説された。まさにその通りであり、その「人間の尊厳」を取り戻すために、金洙榮さんは神戸での講演会の翌日、「このまま差別され続けるのは我慢できない」と大阪高裁に控訴した。支援者の一人である仲尾宏さん(全朝教京都会長)は、「私たちには解決への糸口につながる真実がある。それは原告たちが、ろうあ者、そして在日として過酷な日々を過ごしている『真実』だ。そして私たちには日本社会を正義に切り替える『道理』がある。それを作る場が裁判だ」と支援を訴えている。

 給付金制度は国が年金制度の抜本改正をおこなうまでの、あくまでも代替措置である。給付金の格差をなくす運動とともに、京都の原告団、更には大阪で立ち上がった老齢福祉年金の「無年金訴訟」原告団に支援を送り続けたい。

最初にもどる


国人犯罪増加の嘘と本当

無実のゴビンダさんを支える会・高橋 徹

外国人冤罪事件、たくさんありすぎて…いくつ知っていますか?
 「1997年ネパール人ゴビンダさん冤罪事件」「1997年フィリピン人ロザールさん冤罪事件」「2000年ブラジル人トクナガさん冤罪事件」「2001年ナイジェリア人ジャスティスさん冤罪事件」「2001年チリ人モラガさん冤罪事件」「2002年イギリス人ニック・ベイカーさん冤罪事件」いずれもここ数年で起きた、外国人冤罪事件です(ここでいう冤罪事件とは本人、弁護士、支援者が冤罪として主張し、闘われていること。客観的に見て犯罪の実証に結びつく証拠が乏しいもしくは存在しない事件であること)。一つ一つの事件についてここで述べる紙面はありませんので、それぞれの支援者の発信に耳を傾けてください

 日本では冤罪に関しては外国人差別はない、と言いきる人もいます。なぜなら日本の司法・刑事手続のシステムと体質の現状では、日本人も等しく冤罪におとしめられる可能性を持っているからです。しかし、言語にハンディキャップがあること(取り調べや裁判過程における適切な通訳の不在)、事件当初からサポートできる友人知人の不在、警察の持つ外国人に対する偏見などから考えて、この日本では外国人はきわめて冤罪におとしめられやすいといえるかもしれません。

 東京拘置所に収監されている外国人被疑者の面会訪問にとりくんでいるボランティアグループ「ゆうの会」のスタッフが2003年末、筆者に次のように語ってくれました。「拘置所にいる外国人は大変なことになっています。万引きやちょっとした窃盗など、大きな事件ではありませんが、冤罪事件が多発しています」。
外国人犯罪増加は根拠のない組織的大嘘
 警察や入国管理局当局がマスコミを動員して垂れ流す「外国人犯罪増加」というキャンペーンは、果たして本当でしょうか。そもそも日本人ならお巡りさんのお説教で終わってしまうような小さな事件も、相手が外国人となると、警察では「全件起訴」が建前となっています。したがって身体拘束、取り調べ、起訴の段階から「犯罪者」とされてしまう可能性は日本人より大きいといえます。つまり最初のカウントの段階から不公平なのです。さらに外国人犯罪増加は、警察の犯罪統計からみても根拠のない大嘘であり、外国人犯罪は増加しているわけではない、日本人よりも犯罪者率は低い、と様々な分析から指摘されています。

 奈良大学社会学部助教授の間淵領吾さんはWEBサイト上で「新聞犯罪報道における容疑者の国籍―国籍別「犯罪者率」との比較―」という論文を発表し、次のような結論を報告しています

 第一に「1998年度前半の朝日新聞に関して、新聞の犯罪報道における容疑者・犯人の国籍は、外国人による事件の場合、日本人よりも多く報道されている」。第二に「1998年度の外国人の『犯罪者率』は、日本人と同じか、それ以下である。日本に住んでいる外国人は、日本人と同様に、あるいはそれ以上に、法律を守って暮らしている」。第三に「来日外国人の犯罪者率を罪種別に見ても、凶悪犯については日本人並み、その他の罪種に関しては明らかに日本人より低く、来日外国人が日本人より特に凶暴であるとは言えない」。第四に、「『その他の外国人』の犯罪者率を罪種別に見ると、近年は、概ね日本人の4割程度に過ぎない」。第五に、「『来日外国人が増加すると犯罪が多発するようになる』と考える日本人は少なくないのは、犯罪報道のあり方が多少なりとも影響を及ぼしているのではないかと推測できる。我々は、客観的データに基づいて冷静に判断するべきである」。

 「コムスタカ―外国人と共に生きる会」の中島真一郎さんは一連の外国人犯罪者増加キャンペーンに対し当局の犯罪統計をもとにWEBサイト上で批判的分析を発信しています。

 中島さんは日本人の犯罪検挙者数と外国人検挙者数の推移の分析から、「『来日外国人』人口が最近10年間で1.4倍に増加しているにもかかわらず、『来日外国人』刑法犯検挙人員は、1993年を上回ったのは2002年からで概ね横ばい。『来日外国人』刑法犯検挙人員が、日本全体の刑法犯検挙人員に占める構成比も2%程度しかしめていない。『不法滞在者』刑法犯検挙人員は、1996年の1632人をピークに2002年1403人と減少傾向にあり、日本全体の刑法犯検挙人員に占める構成比も0.4%台程度しか占めていない」としています。

 つまり当局とマスコミの垂れ流す「外国人犯罪増加」は何のトリックも労していない、くり返される組織的大嘘だということです。
外国人排斥ポスター
 街角に張られる防犯ポスターの中に、時折外国人排斥をあおる物が存在します。今まで私が収集したポスターの中に書かれた文言を拾ってみます。

 「回覧、地域安全ニュース…神奈川区防犯協会、神奈川警察署…ピッキングにご用心…主に密入国等の不良中国人系の外国人が犯行していますので…マンションその他付近でバックや旅行カバン等を所持している中国系外国人がいる、2〜3人の中国人系外国人がマンションの階上にあがっていた、付近で見たことのない中国人系外国人が人を訪ねてきた、中国人系外国人が携帯電話で話をしている、中国人系外国人が運転する車が駐車している、等を見かけたときは、直ぐに神奈川警察署に電話をお願いします。また不審な感じであれば110番をして下さい」

 「不審なアジア系外国人を見かけたらすぐ110番をして下さい。町田警察署、町田防犯協会」

 「交番速報、蔵前警察署…銀行帰りをねらう特異窃盗犯、不良外国人グループにご注意を!犯人は東南アジア系・南米系・インド系外国人グループで女性が加わっている。…不審な外国人から声をかけられた(ママ)も、現金やカバンから目を離さないようにしましょう」

 私の手元にあるこの手のポスターの中での名作(迷作)はなんといっても深川警察署の物です。外国人を差別視する言葉は一言も書かれていません。しかしこのポスターを見た瞬間どこかのトイレの落書きを見たときのように、何か「ザラッ」としたものを感じませんか?中国人に対するむき出しの敵意を感じてしまうのは私だけでしょうか。一見「中国人向け」にできていますが、実はターゲットはまぎれもなく日本人です。なぜなら、110番を受信したときに応対に出る人が、中国語ができるのでしょうか。もし通訳を待機させているなら、そのことが中国語でポスターに書かれていなければなりません。中国語のメッセージは、日本人にとっては「不審なものとは中国人である」事をメッセージするシンボルにすぎません。もしあなたが日本で生活する中国人に対して、生活の安全や、警察への通報のしかたを教えてあげたいとしたら、こんなデザインのポスターを作るでしょうか。「不審な人を見かけたら110番しましょう」という日本語のメッセージが添えられるでしょうか。もっと暖かいデザインで、外国人を隣人として受け入れていく意志が伝わるメッセージになるはずです。巧妙に作ったつもりでしょうが、落書きのようにガサツにできた差別ポスターです。 
外国人嫌いの政治家の発言
(石原慎太郎都知事)
 2000年4月のいわゆる「三国人発言」。その後も石原氏は、排外主義的な言動、外国人を犯罪者あつかいする言動が目立っている事は承知のことと思います。石原氏の差別発言をあげればきりがないけれど、たとえば最近のものでは、2003年7月22日朝日新聞朝刊東京版「石原知事発言録」には「(罪をおかした外国人を)捕まえても、変な人権派の弁護士が来たり通訳が必要だったりする…」との発言が記録されています。

(江藤隆美衆議院議員)
 2003年7月13日付けの各新聞で、衆議院議員江藤隆美議員が7月12日に福井市内で開かれた党支部定期大会で講演し、「朝鮮半島に事が起こって船で何千何万人と押し寄せる。国内には不法滞在者など、泥棒や人殺しやらしているやつらが100万人いる。内部で騒乱を起こす」(毎日新聞)、「新宿の歌舞伎町見てみなさい、第三国人が支配する無法地帯。最近は中国やら韓国やらその他の国々の不法滞在者が群れをなして強盗をやってる」(毎日新聞)、などの発言をしたと一斉に報道されています。
外国人狩り宣言in東京2003
 2003年10月17日、東京都・警視庁・法務省入国管理局・東京入国管理局より、「首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言」が出されました。

 その宣言の中で、不法滞在外国人の現状を、「不法滞在者約25万人(推計)の約半数が首都東京にとどまっていると推測」「不法滞在者は犯罪に手を染める」「暴力団等と結託し、あるいは犯罪グループを形成する」「凶悪犯罪に関与する者も増加」「一部不法滞在者の存在が、多発する外国人組織犯罪の温床となっている」としています。そのため、法務省では、東京都及び警視庁とともに、「まずもって、不法滞在者の多くが集中する首都東京の不法滞在者を今後五年間で半減させる」として外国人狩りを宣言しました。

 それに対し移住連(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)では「『首都東京における不法滞在外国人対策の強化に関する共同宣言』に対する声明」を発しました。

 その中で移住連は「今回の『共同宣言』は、外国人、特に正規の在留資格をもたないものへの排外主義の煽動であり、『共同宣言』にあるような取締の強化は、日本で暮らしている外国人に対して深刻な人権侵害を引き起こすもの」とし、さらに「不法滞在者」が犯罪の温床だとする当局に対し「2002年における東京都の刑法犯検挙人員4万7828人のうち、『来日外国人』刑法犯は2027人でその構成比は4.2%、『不法滞在者』刑法犯469人の構成比は0.98%にすぎず、『不法滞在者』は犯罪の温床ではない」と反証を上げています。
外国人犯罪者数の増減には何の意味があるのか
 さて、以上は警察やマスコミ発表の組織的大嘘と排外主義扇動のお話でした。じつは話をここで終わらせてしまうと、とんでもない落とし穴に落とされてします。「外国人犯罪者は増加している」との根拠のない扇動に対し「比率として見れば増加している事実はない」と突きつけることは大切です。しかし、外国人犯罪の増減を問題にすること自体に差別がある事を指摘しなければなりません。国際化の進行と共に、外国人人口が増えれば、実数としての犯罪者も増える。これは当たり前のことです。それに特定の民族あるいは国籍と、犯罪とは因果関係を持たないことは自明のことです。もし我々が特定の民族や国籍と犯罪とを結びつけるとすれば、それは異質な者に対する一般的な日本人の側の不安を反映しているに過ぎないのです。特定の国籍の人たち、特定の民族集団、あるいは外国人一般をひとくくりにしてその犯罪者数(率)の増減を問題にすることにそもそも何の意味があるのでしょうか。もし意味があるとすれば、次のような視点を我々が持つときだと思います。すなわち、ある社会の特定なグループの犯罪者率が増加するような現象と、そのグループがその社会の中でスポイルされていたり、劣悪なあつかいをされていることとの因果関係の可能性を考えてみなければならないときです。

 もし外国人の犯罪者率が増加するような客観的なデーターがでるような事態になったとき、私たちは「外国人は追い出すべきだ」と手のひらを返したように主張するのでしょうか。国際関係の緊張が続けば続くほど、外国人は日本社会の中できわめてきびしい状況に追いやられていくだろうことを忘れてはならないと思います。現在の犯罪統計で外国人犯罪が増加していないこと、人口比から考えて日本人の犯罪者率よりもかなり低いことは私たちの救いです。けれどこの数字は、外国人のおかれている状況に思いをはせる「心ある日本人達」の「多文化共生への努力」の成果では決してないのです。何の根拠があるわけではありませんが私は次のように感じています。きびしい現実の中で、何とか日本社会にとけ込もうとしている彼・彼女らの努力の成果なのだと。しかし、きびしい現実の中で、アンダーグラウンドな世界に入ってしまう外国人がいたとしても、それはごく自然の流れのような気がします。

 2003年秋に進化論で有名なチャールズ・ダーウィンの書いた『人間の由来』を読みました。1871年に書かれた本です。100年以上前に書かれた内容とは思えませんでした。

 「もし自分と別な国の人が、容貌や習慣においてひじょうに異なっていたならば、これまでの経験からすれば、彼らのことを同じ仲間であると、私たちが見なすようになるまでには、残念ながらひじょうに長い時間がかかる」

 私たちが出会う、初めての仲間に対して「潜在的な犯罪者かどうか」などということを気にしていたら、友達になれっこありません。私たち(日本人)がなすべきことは二つあると思います。一つは現在の排外主義の扇動に、しっかり否の声を上げていくこと。そしてもう一つは地域の外国人とともに生きる共生空間を作り上げていくことです。
外国人排斥の空気は教室を満たす
 私はこのこの原稿を書きながら、幾人かの子どもたちの顔やエピソードが脳裏に浮かび上がってきます。そのうちの2名をご紹介します。

 A君は高校2年生。中国籍。残留邦人の呼び寄せとして日本にやってきており、在留資格もしっかりしています。2年生になってから、学校を休みがちになってきました。「東京都の石原知事の発言が怖い」「クラスになじめない」と信頼している教員に語ったそうです。彼は今、学校を続けることを断念しつつあります。

 高校1年のB君の国籍は伏せさせて下さい。スポーツが得意で、日曜日も部活に通っているほどです。B君はオーバーステイ。高校になって自分の在留資格のことが理解できるようになり、「俺は警察につかまるわけにはいかないんだ」と知人に漏らしていたそうです。B君は最近部活も学校も時々サボり、家にこもっていることがあるようです。また家族との関係も不安定になり、家族にあたるようになったとも伝えられています。


 外では外国人狩りが進行し、外国人排斥の空気は学校の教室の中も満たしています。

最初にもどる