2002年の各地からの情報

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緊急シンポジウム!「愛国心・日本人の自覚」成績評価してよかと?(2002年12月18日追加) (new!)

通知表の「愛国心」評価項目の削除と多文化共生を求める緊急要請文 (2002年10月25日追加)

三重大会終わる (2002年10月11日追加)

「雪舟展」と差別表示 (2002年5月16日追加)

(財)兵庫県人権啓発協会による差別・暴力事件 (2002年5月16日追加)

山梨セミナー終了! ありがとうございました! (2002年5月16日追加)

フィリピン人女性リサさんに支援を (2002年2月27日追加)

熊本からの署名とカンパの要請




緊急シンポジウム!「愛国心・日本人の自覚」成績評価してよかと?
緊急シンポジウム!「愛国心・日本人の自覚」成績評価してよかと?
全外教・福岡  徳成晃隆
 福岡市の小学校69校で、6年生通信表の社会科に、「愛国心・日本人の自覚」の評価項目が設けられていることが、ウリ・サフェ(わたしたちの社会)という市民団体の告発によって新聞紙上でも明らかにされました。政令指定都市では類を見ない(北海道、福岡県内の一部でも見つかる)事であり、福岡市の突出ぶりに驚きと注目を集めることとなりました。

 「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を持つとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚を持とうとする」との観点に立って、子どもの学習意欲・関心を3段階評価しようというものです。全外教・福岡はそれまでの取り組みの総括をすると共に、校長会あてに要望書(質問状)を出し、交渉してきました。前後して、ウリ・サフェ、「愛国心」評価項目の削除を求める市民の会、福岡市解放教育三者協(解放同盟市協・市教組・市同研)、アジアに生きる会等が相次いで市教委、市校長会へ要望書を提出し、交渉を持ってきました。その中で、来年度分からの削除の見通しはついてきましたが、今年度2,3学期分の作り直しや項目を改訂する添付の取り組みについては具体的な回答を引き出せないまま来ています。

 さて、去る11月30日(土)表記の緊急シンポジウムを3団体共同主催により開催しました。パネリストとして、出水薫さん(九州大学助教授)、鄭ギマン氏(ウリ・サフェ代表)、松尾一氏(小学校保護者・市民の会代表)、松浦恭子氏(弁護士)、河東正憲氏(小学校教師・全外教・福岡)が登壇し、それぞれの立場から問題提起をしていきました。参加者は、100名ほどでしたが、フロアーから質問や意見が相次ぎ怒りの声が上げられました。

 こどもに「愛国心」競争や、「日本人の自覚」競争をあおることになる、民主主義の根幹である「思想及び良心の自由を侵してはならない」(憲法19条)に違反している、在日コリアン、在日外国人児童に対する差別事件である、日本人児童に外国人への差別や排除の感情をあおる事になる、といった意見が述べられていきました。

 今回の事件は、「アジアに開かれた国際都市・福岡」を標榜する市の方針にもまったく逆行しているし、1999年に策定した福岡市教委の「在日外国人の人権に関する指導指針」の内容にも全く逆行するものであることはいうまでもありません。今後、市民と共に削除を求めていきマス。全国のみなさんのご支援をお願いします。


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通知表の「愛国心」評価項目の削除と多文化共生を求める緊急要請文
2002年10月25日
福岡市小学校校長会
会 長 中 島 紘 昭 様
全国在日外国人教育研究協議会
会 長  藤 原  史 朗
通知表の「愛国心」評価項目の削除と多文化共生を求める緊急要請文

 私たちは、在日外国人教育を推進し多文化共生社会の実現をめざしとりくみを進めている教職員の団体、全国在日外国人教育研究協議会(以下、全外教)です。

 このたび、貴校長会公募委員会が作成された小学校6年生用の通知表に、「国を愛する心情」「日本人としての自覚」を3段階で評価する項目があることを報道で知り、驚きとこうした評価を外国籍や外国にルーツをもつ子どもたちに対してどのように評価するのかという疑問を感じ、不適切な通知表であると思っていました。しかし、この通知表が福岡市内の約半数(69校)で採用されており、しかも、この問題が議題として開催された校長会では「問題なし」とした結論が統一見解として決定されました。

 私たち全外教は、福岡市において97年7月に策定、福岡県において99年1月に策定された「学校教育における在日外国人の人権に関する指導指針」に基づき、また、何よりも当事者の声に耳を傾けた論議がなされ、自らの過ちに気づき削除と訂正がなされると信じていました。しかし、貴会の決定はこうした期待を裏切るものでした。「在日コリアンの子どもが自らを否定的に受け止めざるを得ない評定で人権侵害」とする声に耳を傾けず「通知表の変更は行わない。項目の削除・訂正には応じない」とした決定には憤りを感じずにはいられません。

 私たち全外教は、同じ教育を携わるものとしてこうした決定を許すことはできません。福岡市内のすべての学校が多文化共生をめざし、差別と抑圧、同化と排外の波にさらされ自らの立場を隠さざるを得ない状況にある在日コリアンをはじめとした在日外国人の子どもたちの教育課題を解決するためにも、早急に校長会を招集し再考頂きたく下記の項目を求めます。

 
1. 今回の校長会の統一見解を撤回し、福岡市教委並びに県教委の策定した「在日外国人教育指導指針」の具現化を実現し、多文化共生をめざす学校教育の確立を求めます。

2. 「愛国心」評価項目を削除した通知表を早急に作成し、今後の学校教育の方向性を保護者・当事者をはじめ関係者に説明を行われるよう求めます。



参考 西日本新聞10月17日14時57分更新分

愛国心評価変更せず 福岡市小学校長会決定 「指導要領に基づく」

 福岡市内のほぼ半数の小学校が使っている六年生の通知表に「日本人としての自覚」などの評価項目がある問題で、通知表を作成した同市小学校長会が、本年度中は通知表の変更は行わず、在日コリアンなどでつくる市民団体が求めている項目の削除・訂正には応じないことを決めたことが十七日、分かった。

 同市小学校長会によると、十一日に開いた各区の小学校長の代表者会議で、通知表の問題を協議。指摘があった文言は「学習指導要領に基づいた評価項目であり、問題ない」という点を確認し、年度途中での変更は混乱を招く可能性もあることから、本年度中は変更せず、削除・訂正には応じない方針を決めた。同市小学校長会長の中島紘昭・大楠小校長は「校長会としての統一方針として決めた。理解されていない部分は、各校の実情に応じて保護者会などの場で説明していくことになる」と話している。

 同市教委によると、同市校長会が作成した「愛国心」評価を盛り込んだ通知表は、市内百四十四校のうち、五十二校がそのまま使用、十七校が一部を変えて使っている。段裕明・同市教委指導部長は「あくまでも校長会が決められたことであり、とやかくいうことではない。だが、公の機関で行っていることであり、保護者だけでなく、一般市民の理解が得られる内容かどうか点検してもらうことを検討している」と話している。



 
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三重大会終わる
全朝教(全外教)三重大会実行委員会事務局
 暑い夏の締めくくりは、全朝教(全外教)三重大会だった。二年近い準備をしてきた満足感と直前まで作業が続いている不安が入り交じり、研究集会当日の朝を迎えた。

 参加者数は思うように増えなかった。が、地元スタッフとして精一杯やりきったという充実感には変わりなかった。

 大会の準備に際し、全朝教事務局をはじめ全国の仲間から助言をいただいたことや、三重県教組をはじめとする地元の皆さんの協力は、私たち実行委員会の心の支えとして大きかった。また、研究集会を終えて、参加した皆さんからいただいた賞賛の言葉や激励は、これからの三重県外教の活動の道しるべになるだろう。

1、全体の参加者数について

 研究集会には、20都府県から1000人を超える参加者があった。地元三重からは、出演団体などを含めて約450人の参加があり、奈良県から約120人、大阪府から約90人、神奈川県から約70人と続く。財政事情が厳しい中、県内外各地から多く参加をいただき感謝している。


2、県内の参加体制づくり

 研究集会の8割は教職員であることから、幼小中高校の校(園)長会に働きかけ参加をお願いした。また、後援をいただいた市町村や教育委員会にも開催案内を配付し参加の条件整備をした。
 三重県教組や各地同研などのネットワークで、多くの人々に開催の案内を出すことが出来たことが大きかった。

3、後援について

 三重県・三重県教育委員会をはじめ多くの県レベルの組織から後援をいただいた。また、三重県市長会や町村会の後援も得、県内のほとんどの市と62の市町村教育委員会から後援をいただいた。その結果、行政の参加も増え、県内各地からの参加が見られた。


4、地元実行委員会のとりくみ

2001年10月、第1回三重大会実行委員会を開催し、大会の概要と予算などが承認され本格的な準備に入った。第2回実行委員会では、「県内の参加者をいかに増やしていくか」を柱に協議が進んだ。


 この間、実行委員会事務局会を計20回程開催し、全体会・分科会・フィールドワーク・交流会など担当者が原案を提示し、何度も企画を修正した。徹底した話し合いを進めてきたが、急な提案など準備不足から時には摩擦も生じた。しかし、献身的な事務局員の踏ん張りが集会を成功させたことは言うまでもない。

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「雪舟展」と差別表示
全朝教(全外教)副会長 金井英樹
 何とも似つかわしくない表題だが、この文の内容だから致し方ない。「50年ぶり」という謳い文句に惹かれて「雪舟没後五百年特別展」を京都国立博物館へ観に行く。最終日の前々日、本年4月5日(金曜日)のことである。「75分待ち」という看板にゲンナリしながらも列の最後尾についた。この2日前は「90分待ち」で諦めた経緯もあって、15分短縮と「プラス思考」で並んだ。幾重にも蛇行が続く。老若男女、欧米人も結構いる。

 本当にピッタリ75分間待って入館、館内も満員である。目の前に2列ぐらいの人並みがあって、3列目からの鑑賞。よく見えない。人を見に来たのではないのにと嘆息。

 「山水長巻」の展示では「最前列でごらんになられる方はお並びください」と館内でまたもや並ばされる。「後ろからごらんになる方は、結構です」と係員は言うが、その人々が途中で割り込んでなかなか進まない。イライラが募る。ようやくにして最前列で作品を見ることができた。割り込むやつには一喝した。それから一通りは見ようと進むが、人波をぬうようにしながらで、なかなか前列にはいけない。

 そうこうしているうちにある場所で偶然最前列に出た。No.64 の「山水図」である。そこに到って、初めてキャプションを読むことができた。その説明文を読み進むと、なんと「渡鮮」とある。驚愕、ガックリもいいところである。残りの展示は足早に作品を垣間見ながら、人垣をかきわけて出口へ。

 一応『図録』を購入して、係員らしき人物に「キャプションについて聞きたいことがあるのですが」と訊ねると、「それなら事務室の方へ」と返された。急いで『図録』を開いて  「山水図」の箇所を調べると、そこには「朝鮮に行った」云々とある。

 会場を出て、別棟へ向かう。事務室の受付で、同じことをいうと「それについては学芸員に」ということで、館内電話で応対させられる。「何か問題があるのでしょうか」というような、まったく要領を得ないやりとりをした後、「その場でお待ちください」ということで、学芸員氏にようやく出てきていただいた。

 さて、  「山水図」の展示キャプションについて指摘すると「それは、朝鮮に渡るという意味で、渡仏や渡米と同じです」との応答。「違うでしょ」と、やさしく反論をはじめた私であった。「母親の世代に厳しい差別があったとは聞いたことがありますが」とか「韓国考古学が専門で」などとのたまう若き学芸課主任研究官殿。精一杯説明するも埒があかぬので、3点ばかりメモして文書回答を求め、1週間以内に全朝教事務局まで送ってもらうことを約束して引き上げた。

 指摘したのは、以下の3点である。

1、「渡鮮」という表現をどうして使われたか
2、差別表現だと思うがどうか
3、今後の措置・対応をどうするか

というものである。

 翌週4月9日付で回答が送られてきた。土日をはさんで雪舟展終了後にキャプションを書いた本人に確認したところまったく意識なく「鮮」を使用したこと、これから始まる東京展では別のキャプションになること、などが記されていた。

 核心である差別表記という問題には、まったく答えていない。会期中、何十万人かの入場者があって、その人々の目に触れたであろう差別表現についての反省はまったくない。指摘を受けた後の2日間、まったく変更していないことも問題である。
また、今後についても、学芸会議に提起するとのことで、具体的な研修等については論議された様子もない。全国運営委員会に提起して、これから組織でとりくむことにする。

 今回の問題は、いまだ私たちのまわりのそこかしこに植民地化で拡大した差別語が生きており、それが克服されていない現状をあらためて浮き彫りにしている。

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(財)兵庫県人権啓発協会による差別・暴力事件
兵庫在日韓国朝鮮人教育を考える会 小西和治
(財)兵庫県人権啓発協会は「民族差別推進協会」なのか
 兵庫県と県内市町村により設立され「あらゆる差別を許さない立場にある財団法人兵庫県人権啓発協会」(以下、人権啓発協会)は、県庁北側に専用ビル(のじぎく会館)を持ち、「啓発映画」「啓発テレビ番組」の作成、「啓発冊子」や「機関紙」の発行をはじめとする諸事業をおこなっている団体である。この団体の代表は県知事であり、専従職員は兵庫県及び兵庫県教育委員会からの出向者により構成されている。
この人権啓発協会が、毎年作品を募っている「のじぎく文芸賞」で、日帝植民地支配の美化と民族差別を正当化する記述を含む作品に対して佳作を与えた問題について、我々は兵庫在日外国人人権協会及び県在日外国人保護者会とともに、撤回と謝罪を求めて話し合いを行ってきた。
 しかし、人権啓発協会側の開き直りと交渉拒否によって硬直状況に陥っている。このままでは人権啓発協会は「民族差別推進協会」と、名称変更を県民から求められるのではないかと危惧している。


差別語『京城』ばら撒きの犯罪性!

 今回の差別語「京城」を含む作品が「佳作」として冊子化され、県内公立学校や公共図書館等の公的施設に6000部が配布され、現在も放置されている問題について、我々は次の4つの理由で許しがたい差別事件であると考えている。
1、日本は「韓国併合」後すぐ、韓国の首都の名称を『京城』に強圧的に変更した。この都市は、民衆からはソウル(都邑を意味する固有語)と呼ばれ、行政用語としては漢城と定められていた。この変更は、地名の「創作改名」である。韓国最大の繁華街の名称を明洞から『明治町』に変え、各地に『本町』や『◯◯銀座』をつくるなど伝統的地名を日本風に改名させた。これらの「都市改名」は創氏改名と同様、植民地支配を受けた民衆にとっては屈辱的なものであり、この名称を当初から使用したのは、植民者の日本人とごく一部の日帝協力者のみであった。

2、日本の敗戦・韓国朝鮮の解放後、植民地時代に強要(創氏改名)された日本風氏名はすべて本来の姓名にもどされ、都市名や町名も伝統的な呼び名に復帰した。とりわけ、悪夢のような植民地支配を想起させる『京城』を使用する者は皆無であった。歴史的事実として残る「京城帝国大学」卒業といった事実も、一部の例外を除いて「ソウル大学」卒業とされることのほうが多いのである。

3、『京城』は差別語であるとの認識が現在ではようやく定着しつつある。この言葉を誤って使用した放送局・新聞社・出版社は、すべて誠実に謝罪し表現を訂正してきた。たとえ、文学作品であっても丁寧な注釈をつけて発表するようになっている。さらに、差別をばら撒いた事実を認め自らの無知を謝罪するだけではなく、今後の民族差別解消にむけての社会的な貢献の約束をし、それを実施してきた。

4、上記のような行動を各メディアがおこなったのは、『京城』は単なる歴史的用語ではなく、植民地支配の犯罪性の隠蔽やアジア民衆の蔑視といった目的を持って「都市改名」がなされ、当時の植民者日本人は支配者としての驕りの気持ちで使用していた事実を知ったからである。このような日本人の心情は現在にも残存し、教室で「チョーセン人は朝鮮に帰れ!」といった韓国朝鮮人の子どもの心を傷つける言葉となったり、「チマチョゴリ切り裂き事件」となったりして、悪辣な民族差別を生みだす土壌となっている。

なぜ「国際的批判を受けて然るべき作品」なのか
 差別語『京城』をばらまいただけでも、人権啓発協会は「民族差別推進協会」と、名称変更を県民から求められると我々は危惧するものであるが、今回の事件の持つ犯罪性はこれだけにとどまらない。
 「引き揚げる時も…」と帰国を問題用語「引き揚げ」で表現しているばかりではなく、「引き揚げる時も『先生達が日本に帰ってしまったら、この朝鮮は、どうなってしまうのだろう』と泣いて別れを惜しんでいた人たちを思い出す」とか、「家に出入りしている朝鮮人は、ほとんどの人が日本語を自由に話す人達だった」など、植民地支配を淡いノスタルジーで覆い、植民地支配を美化し正義であったと主張する作品であることも大きな問題である。
 また、審査講評で植民地時代の朝鮮での生活を「外国生活」と表現するなどの基本的事実の誤認や、当時の状況をも理解できず、国土・財産・名前・名誉・人命…等を奪われた民族に対して、略奪者としての自覚がまったく見られない講評になっている。冊子全体として、韓国朝鮮人県民に対する悪意に満ちた侮蔑・無理解・心情無視の部分が散見できる。仮に、差別語『京城』を使用していなくても、この作品は韓国・朝鮮だけでなくアジアの国々から国際的批判を浴びる作品なのである。
 さらに『京城』である。人権啓発協会が、被差別部落に対する賤称・差別語を含む作品を入選させ、差別語を県内にばら撒くような事態を想像していただければ問題点が明白になる。そして、「従軍慰安婦」問題・教科書問題をはじめとして日本の植民地支配が国際問題化している昨今、この作品が公的機関の文芸賞を受賞し、なおかつ学校や公的機関で今なお自由に閲覧されている事実は、良識ある国際世論が看過しないであろう。これは、民族差別・歴史改竄事件であり、国際的批判が集中しても不思議ではない事件であると言える。


暴力事件と兵庫在日外国人人権協会の機関紙の怒り

 兵庫在日外国人人権協会(以下、人権協会)は、その機関紙の最新号で、この問題に関する交渉中に起こった暴力事件について、次のように報じている。要点を引用したい。


「差別推進協会」の異名を持つ県の御用団体を許すな!
〜(財)兵庫県人権啓発協会九・一九暴言・暴力事件とその後の経過〜

 人権協会は9月19日に第四回の話し合いを行った。出席したのは上原宏一人権啓発協会専務理事、大野事務局長、竹内啓発部長、啓発室の浅川氏の4名。
 今回は5月17日に貝原兵庫県知事あてに我々が行った抗議と要請に対する回答と、5月18日の新聞記事の真意に絞り追及したが、まさに上原専務理事の問題発言独壇場であった。

これが上原専務理事の三大差別暴言だ!

1、「京城」という言葉は、10年後には差別語になるかもしれません。だが、今は差別語ではないので、「京城(現ソウル)」と注釈をつけますが、これは、あくまで場所の特定のためにつけるのであり、あなたたちの抗議を受けたからつけるのでは決してありません。
2、あの作品を読んで、心が温まったという人がたくさんいらっしゃいます。あなたたちが傷ついたのは、気の毒なことです。不幸なことです。どうか我慢してください。理解してください。
3、人権啓発協会は、同和問題の解決をめざす団体なので、朝鮮人差別のことは扱っていないのです。
 上原専務理事の発言=人権啓発協会の体質=兵庫県の実態であろう、差別状態放置に無為な県の姿勢を垣間見た。民族差別を堂々と描いた作品を選んでしまった自らの過ちを認めて謝罪するどころか、今度は執筆者に責任転嫁して、「作者の村田さんはまだ子どもだったことですし…」としゃあしゃあと言ってのける図太い神経。「差別して何が悪いか!」「少数者は多数者の前で平身低頭せよ!」と開き直る数々の暴言。陳腐な人権感覚で「同和」問題にとりくんだところで、何が差別の解消につながるものか。このままでは、差別推進作品が「心温まる」作品として、今年度も、そして来年度も永劫に「のじぎく文芸賞」を受賞し続けるに違いない。しかし、我々は、決して屈服などしない。
上原専務理事の暴力行為をフォーカス!
 上原専務理事を含めた人権啓発協会の出席者四人は、差別に喘ぎ苦しみそして闘っている在日コリアンの熱い語りを耳にしても、胸が痛んだとか、心をゆり動かされたとか、我が身の至らなさを恥じるといった感情は、残念ながらまったくない人たちだったようで、顔色一つ変えることはなく、話し合いの前から用意していた差別見解をただ繰り返すだけだった。彼らのそういった人間性は吹けば飛ぶような官僚生活で培われたものだと思いたい。
 2時間余りの話し合いは平行線のままなのに、人権啓発協会の4人は次回話し合いの日程設定を拒否して一方的に帰り支度をし始めた。前後の扉の前に我々が立ちふさがると、上原専務理事は、黄光男事務局長がいた後ろの扉からは出ようとはせず、保護者の会申点粉代表がいた前の扉から出ようとして、彼女の腕を力任せに思い切りつかみ、投げ飛ばしたのだった。我々はこの暴力に対して激しく抗議を続けた結果、上原専務理事は申点粉さんに謝罪はしたものの、余程強い力でつかまれたのだろう、彼女の腕には大きな青いあざができていた。上原専務理事の暴力シーンは写真にきちんと収められている。
その後の経過
 人権啓発協会は民族差別を肯定する作品に賞を与えた失態に加えて、今回、暴力という卑劣な罪まで犯したのだった。そして、未だに我々との話し合いを拒否し続けている。今後は、新たな運動展開を繰り広げながら、人権協会は人権啓発協会の体質改善と謝罪を求めて断固として闘います。繰り返しますが、我々は人権啓発協会を徹底糾弾し続けます。みなさんのご支援をよろしくお願いします。
★財団法人兵庫県人権啓発協会あてに抗議を!★
〒650-0003 神戸市中央区山本通4丁目22番15号
TEL:078-242-5355、FAX:078-242-5360
e-mail:info@hyogo-jinken.or.jpまたは jinken@po.hyogo-iic.ne.jp


 以上、人権協会機関紙より引用

 また、人権協会は本年1月4日初出の日にあわせて、この差別・暴力事件に対して県庁前抗議ビラまきを敢行されました。全国・全世界の皆様による抗議の声が、兵庫県人権啓発協会に届くことによって、このおぞましい差別文書が回収され、暴力事件に対する謝罪も行われ、この問題が解消の方向に向かうことを願ってやみません。

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山梨セミナー終了! ありがとうございました!
山梨 今澤 悌
 2001年12月8日(土)。全朝教の名がついたイベントが、山梨で初めて開催されました。

 「ゼンチョウキョウ?どんな字を書くの?」という質問を、何度受けたことか…。こうお話すれば、山梨の状況がすぐにご理解いただけるかと思います。東日本のご多分にもれず、ここ山梨では在日朝鮮人教育・解放教育の土壌がまったくありません。そんな山梨での今回のセミナー開催は、まさに「歴史的!」と言っても過言ではないかもしれません。

 なんの組織もつながりも地盤もない山梨で、開催に向けて、つくっていかなければならないことを考えると、かなり躊躇し、セミナー開催をお受けするのを保留していました。しかし、今までともにとりくんできてくれた仲間の先生方、そして組合の協力が得られるということでお受けすることになりました。

 仲間の先生方、在日コリアンの方、外国人支援のNGOの方、そして組合からと集まっていただき、実行委員会を組みました。四回の実行委員会、四回の事務局会議を経て、開催となりました。セミナーをつくりあげていくにあたり、実行委員の間で、非常に有意義な話し合いがもてました。セミナー自体も意義深いものであったのはもちろんですが、こうした実行委員会での意見交換が、非常に有意義でした。

 ただ単に「イベントを打つだけ打つ」のだったら、そう難しいこともないのですが、やはり、それでは…。「何もない」「なんの土壌もない」山梨だからこそ、何かをするには、今後につながるものをしたい。そうしなければ意味がないのではと思い、実行委員会の中で話し合ってきました。

 山梨の特徴として、「在日朝鮮人教育・解放教育の土壌がまったくない」「その中で、新渡日の子どもたちが急増している」ことがあげられます(人口比から見ても、外国人の居住率、学校への在籍率は全国でも有数です)。そんな山梨でのセミナー開催なので、内容を考えるにあたっては、事務局の思いとして二つありました。

 一つは、在日朝鮮人教育という山梨では、非常になじみのないものを、山梨の教員に理解してもらいたいことです。在日コリアンの問題は過去のもの、遠いものではないということ。今山梨で大きな問題になっている、新渡日の子どもたちの問題の根っこには、在日コリアンの問題がなおざりにされてきたことにある。そのことを理解した上で、今の新渡日の子どもたちの課題を議論したいということでした。山梨の現状では、この両者は切り離されています。このセミナーで、在日の問題と新渡日の問題をつなげたかったというのが一つです。

 もう一つは、新渡日の子どもたちの問題で、新たな課題が出てきており、それを議論する場としたかったというのが二つ目です。受け入れ時の問題、日本語の初期指導、アイデンティティの問題等、の新渡日の子どもたちが急増して以来の問題に加え、子どもたちの定住化、長期滞在化が進み、進路の問題やさらに最近ではドロップアウトや未就学、不登校、そして児童労働の問題が深刻化してきました。その部分の議論を深め、今後私たちは何をしていかなければならないのかを考える場になればいいなと思いました。

 一番来てもらいたかった山梨の教員ですが、組合の動員と声かけで、当日は20数名集まりました。他県からみると、なんとまあ情けない数字ですが、山梨にとっては、よくぞ!という数だったのです。その山梨の教員に、一番聞いて欲しかった在日コリアンに関する話題は、午前中に扱いました。 

 まず、「在日朝鮮人教育と全朝教の歩み」と題して、金井先生に講演をしていただきました。時間が短い中でしたが、非常に我々にとってはわかりやすく、また自らを問い直す内容となりました。そのあと、県内在住の在日コリアンの方お二人からアピールをいただきました。今後このような方々と、山梨の教職員とが、つながっていけたらと切に思います。

 また、県内で唯一!の在日朝鮮人の子どもとのかかわりを、日教組教研でレポートした青嶋氏から、山梨で在日朝鮮人教育を行う意義と課題、難しさなどを話していただきました。このようなとりくみが、どんどん出てきて、県の教研でも議論ができればという思いで聞いていました。

 午後は新渡日の話題に移りました。まずはじめに、日本一の日系ブラジル人多住地区である愛知県保見団地で、ずっと活動を続けてこられた野元弘幸氏(都立大助教授)から報告を受けました。またそれを受けて、神奈川の高橋さん(移住労働者と連帯する全国ネット)をコーディネーターに、山梨・井上氏(山梨県教組教文部長)、奈良・桝井氏(奈良県外教)、大阪・岸野氏(多文化共生情報センター)をパネリストにディスカッションを行いました。フロアーからも多数の意見が出され、活発な意見交換がなされました。詳しくは、今後出される通信紙上をご覧下さい。

 その後行われた全国交流会も、和やかなムードの中、楽しくできました。地元山梨からも実行委員の他にも多数参加いただきました。
こうして無事山梨セミナーを終了することができました。何も組織や土壌がない山梨では、このようなイベントを打つと、それで終わりになってしまうことが多いです。そうならないためにも、「セミナー後」を、事前の実行委員会から話を進めてきました。
まずはメーリングリストを立ちあげることを考えました。そこで情報交換や意見交換をする中で、何かつくっていければということと、横のつながりをもっていく こと。その2点を目的に先日「TABUNKA-ML」を立ちあげました。現在21名(県内18、県外3)参加で運営をしています。セミナーの実行委員会もそのまま「多文化共生ネット山梨」という名称でつながりを持ち残すことになりました。メーリングリストを中心に、少しずつ動いていけたらと考えています。

 思えば、本山梨セミナーの打診をいただいたのが、鳥取セミナー終了後の5月。よくもまあ受けたものだと今更ながらに思います。無事終了できたのも、労苦をいとわず協力いただいた実行委員のみなさんや当日スタッフのみなさんと、それから、本当に多大なご協力をいただいた山梨県教職員組合の教文部長井上先生、そして全朝教の全国運営委員の皆様のおかげです。ほんとうに多くの方々に支えられての、セミナーの開催になりました。ここに重ねてお礼申し上げます。

 最後になりましたが、遠く交通の便が悪い山梨まで県外から多数のご参加をいただいたことに、感謝申しあげます。このことは「山梨がんばれ!」とのエールだと受け取りました。しっかりがんばっていきます。今後もご支援よろしくお願いします!

TABUNKA-MLについての問い合わせは、山梨の今澤さん(y-now@comlink.ne.jp)まで

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フィリピン人女性リサさんに支援を ―全国フォーラム後のとりくみとリサさんの様子―
多文化共生フォーラム奈良 谷 敏光
はじめに
 奈良県桜井市で暮らすリサさんは、日本人男性との12年間にわたる結婚生活をしており、本来ならば「不法残留」にはなり得ない立場のフィリピン女性でした。にもかかわらず、子どもができないこともあって夫から一方的に離婚届が出され、収入もなく孤立した生活を強いられ、身体も心も病んだ上、在留資格や社会保障についての情報や生活支援をまったく受けることなく、「不法残留者」として逮捕されるという形で保護されました(2001年7月16日)。
 移住労働者と連帯する全国フォーラム全体会では、この問題について外国人労働者奈良保証人バンクの山本直子さんからリサさんへの支援を求める緊急アピールをさせていただきました(8月13日)。今回はその後のとりくみとリサさんの近況を報告させていただきます。


警察に保護された直後のとりくみとリサさんを支える会の発足

 幸いにも警察官の人道的な対応から、私たちの知るところとなり、警察から釈放された後の治療入院と治療費の捻出方法、強制送還ではなく日本で生活するための法務省入国管理局への働きかけを多くのリサさんを支援する市民とともに行ってきました。
 現在、リサさんは奈良県内の病院に入院加療中ですが、健康保険や生活保護という制度が使えないため、かろうじて「行旅病人及び行旅死亡人取扱法」という行き倒れの方のための費用の適応を受けています。これでは治療費しか補填されないことと、数ヶ月間しか適用されなくなるため、リサさんの治療と強制送還ではなく日本での在留資格を求めるために「リサさんを支える会」を結成し、当面必要な経済的な支援を行っています。


「神の子たち」チャリティー映画会・リサさんを支える市民集会の実施

 リサさんの問題を多数の市民に知ってもらい支援の輪を広げるとりくみをしてきました。実行委員会形式でチャリティー映画会を企画したこともそのひとつです。実行委員会には県内で人権問題にとりくむNPO、労働組合、政党など15団体の加盟がありました。リサさんへの支援の要望とチャリティー映画会の案内は、奈良県外国人教育研究集会やマスコミなどさまざまな機会を捉えてなされました。多くの支援のいただきました。奈良県外教研究集会でリサさんの問題を知った県内私立高校の教員はクラスの子どもたちに伝え、文化祭でリサさんの回復を願って千羽鶴を折り展示してくれました。映画会当日までに県内外各地から20万円を超えるカンパが寄せられました。2001年11月25日のチャリティー映画会には総数300名近い市民が参加してくれ、大きな成果がありました。
同日に開いた「リサさんを支える市民集会」にも約100名の参加があり、特別在留資格を求める集会アピールが採択されました。


リサさんの近況

 私たちは、リサさんがただひとつ欲しいと言った「コカコーラ」とお菓子を持って面会しました。無表情だった2週間前に比べると表情があり、「ありがとね」という言葉と笑みがありました。彼女のために持っていったお菓子なのに、私たちに食べろとしきりに気遣ってくれました。「入院して2ヶ月になるね」と話すと、意外にもリサさんは「そうね、10月になったら田んぼやね」と、かつて夫や姑と暮らしていた頃の平穏な稲刈りの様子を思い出し「つらかった」と聞くと「そんなことないよ。好きやったから」と懐かしそうに話してくれました。集会アピールとリサさんの意思を携えて、入管に特別在留資格を求める日が間近に迫っています。さらなる支援を全国からいただきたいと思います。
 国際結婚が多くなりリサさんの問題は、一人のフィリピン人女性の問題ではありません。リサさんと同じ苦しみを生み出さないとりくみが求められています。リサさんの問題に対するとりくみが、そのようなとりくみへの契機にしなくてならないと考えます。
 

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